ご挨拶
無限にあるゴムの可能性と向き合い、
常に新しいカタチを考え実現していく。
生まれながらにゴム製造業の環境が身近にあった私は、赤堀パッキングと共にゴム業界を見続けてきました。そのゴム加工製品に求められる品質やサービスは、年々シビアになっていると感じています。
遡れば非常に古くからあるゴム加工業において、長きに渡る伝統の良い部分を受け継ぎながら新しい風を吹かせていく、それが私たちの使命だと考えています。
そのため赤堀パッキングでは、独自の高品質・超スピードを追い求めるだけではなく時代とともに成長し常に新しいことにチャレンジし続けています。
私(25歳)の入社当初は、社員やパートを合わせてわずか5人だった赤堀パッキングも、お客様、協力会社様からのたくさんの支え、当社の社員たちの骨身を惜しまない尽力のおかげで、今では全国に名前を知ってもらえる程の企業に成長することができました。
今後も日本だけではなく、アジア、世界各地で通用するような組織の結束力を強めながら、お客様のために精進してまいります。
私が2代目社長だからこそできる発想や行動、今までとは違った見方で、周りがやらないことにも果敢に挑戦し、それらが実現できることを赤堀パッキング全社員で証明したいと思っています。
赤堀パッキング 代表取締役
赤堀 仁 AKAHORI HITOSHI
1973年生まれ。1971年(昭和46年)父の赤堀勝夫(現会長)が墨田区で赤堀パッキング(赤堀パッキング製作所)を創業。幼い頃からゴム加工の仕事現場に行き来し、父の背中を見て過ごす。小学生から大学生まで実家のゴム加工業を手伝うようになり、大学卒業後は、縁があった大阪の競合他社に2年間、その後、ゴム製造メーカで1年間修行。3年という短い期間であったためほとんど休みも取らずゴム加工に必要なスキルや人間関係を身につける。
その後実家の江東区の赤堀パッキングに戻り、11年間の営業活動を経て、36歳で赤堀パッキングの代表取締役に就任。中小企業規模では珍しい、業界最高峰の機械「ウォータージェットカッター」をいち早く導入するなど、常に新しい発想を持ち業界に先駆けて行動。組織として、会社や人が育つ環境を整えることを考え、企業理念や行動指針などの策定、人事にも注力するようになる。
スポットライトが当たりづらい工業職のイメージを変えていくためにも、赤堀自身がメディアや多種多様なイベントごとに積極的に露出している。
メディア掲載履歴
BS11 リアル~真実を追う180日~ 第23話、日経トップリーダー、財界オンライン、日刊工業新聞、ゴム産業ニュース、社長チップス、
TIKTOK「社長の名は」32万回再生/1万いいね達成
詳細プロフィール
「父親を超える」その一心で今がある。
私は自宅兼工場である赤堀パッキング(旧赤堀パッキング製作所)にて、根っからの経営者気質だった父の背中を見て育ちました。生まれた時から、ゴム加工の環境が身近にあったのです。
工場では地方から住み込みで働きに来られていた若い職人の方々にも仲良くしてもらっていましたし、私が小学校に上がった頃にはすでに、ゴム製品のバリ取りなどを手伝っていました。こうした経験から大人とのコミュケーションや自分で稼ぐという感覚が、小さい頃から身についたのかもしれません。
また自分が成長すると共に、会社の成長があったため、小さい頃から見ていた経営者としての父の背中は、越えなければならない高い壁のように感じていました。
私の幼稚園の文集の将来の夢にも、「お父さんの仕事を継ぐ」という夢を描いていたようです。
ゴム加工に本格的に関わり始める。
本格的にゴム加工と関わりだしたのは、大学生の頃。特に大学生活の後半は、赤堀パッキングでのアルバイトに力を入れていました。
大学卒業後は、本格的なゴム加工技術の修行のため、大阪のゴム加工会社でお世話になりました。その会社の社長が無類の機械好きということもあり、様々なゴム加工の機械に触れられる環境でした。
寝る間を惜しんで仕事に打ち込んだところ、徐々に周囲の信頼を獲得し、半年ほどですべての機械をさわらせてもらえるようになりました。この時の経験は、今の赤堀パッキングの機械化に多大な影響を与えています。
休暇も取らず毎日遅くまでがむしゃらに働き、精神的にも肉体的にも辛い時期ではありましたが、その時に得たものは何者にも変えられない、今考えると、宝物のような時期だったと感じます。
逆境を乗り越える、
赤堀パッキング入社後と代表就任。
大阪の修行から実家に帰ってきた平成10年に、営業として赤堀パッキング入社。当初は会社からお客様を与えられず自分のお客さんがないため、車で走っては飛び込み営業を繰り返しました。
当時の赤堀パッキングは手加工が中心で、機械はほとんどなく、他社と勝負するなら「スピード」だと考えました。そこでどこにも負けないスピードを追求したことは、現在の「超特急即納システム」にもつながっています。
墨田区で飛び込み営業したある会社の社長に行動力や知識を認められ、はじめて仕事を依頼いただいたときは、本当に感動したのを覚えています。
入社から11年経った36歳、ついに社長に就任します。しかしその前年のリーマンショックの影響で、利益は厳しい状況でした。社長就任直後に陥った苦境です。ボーナスカットが必要になり、当時の20人ほどの社員を集めて説明しました。社員たちは理解し、ついてきてくれたので感謝しています。状況は半年で改善することができました。
しかしその2年後、5〜6人の社員が一気に辞めてしまいました。毎日夜遅くまで働く、いま振り返るとありえない状況が続いていたためです。働く環境とコミュニケーションの改善、何より経営者として考え方を改める必要があると気づきました。社員たちが働きやすい会社を目指して変化する、大きなきっかけとなった出来事です。
当時の逆境にもついてきてくれた社員の方々がいたことで、赤堀パッキングは持ち堪え、今のように新しいことにもチャレンジできるようになったのです。
会社を進化させて、加工技術で世界を変える。
創業から40年をすぎた頃です。経営者として、会社を変えていかなくてはならない部分、課題などもたくさん見えるようになりました。
それまでの就業規則を見直しながらも、自分たちのさらなる武器を手に入れようと、2016年までにはあらゆる機械を導入しました。また2017年には予算を捻出し、ウォータージェットカッターを導入。そうして仕事の依頼とともに、社員の人数も増えていきました。
個人の活動も広げていきました。それまではゴム加工業界しか見ていませんでしたが、異業種交流会にも参加するようになり、他社の取り組みを取り入れるようになっていきました。
今では製造業の世界を、工業の世界をもっと良くしていきたい、かっこよくて元気がいい、こんな会社もあるんだと知ってほしい、そんな思いを持っています。
幼少期から見てきたゴム業界は、殿様商売だと感じていました。過去には、「どうせ変形するものだから」と多少見栄えが悪いものを売っている会社もありましたが、そんな時代でも先代からは「綺麗な製品を納品する」ことを教えられてきました。
先代から引き継いだ考えを大切にしながら、周りがやらないことにも果敢に挑戦し、日本はもちろんアジア・世界で通用するような会社にしていきたい。
それができることを、赤堀パッキングみんなで証明したいと思っています。